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東京地方裁判所 昭和47年(行ウ)120号 判決

原告 松崎慶子

被告 農林大臣

訴訟代理人 近藤浩武 阿南文孝 ほか五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

1  被告が原告に対し昭和四五年七月二五日付をもつてした戒告処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告 主文と同旨

第二主張

一  原告(請求の原因)

1  原告は農林省蚕糸試験場(以下「試験場」という。)化学部主任研究官の職にある農林技官であるが、被告は昭和四五年七月二五日付をもつて原告に対し国家公務員法八二条一号及び二号の各規定に該当する非違行為があつたとして請求の趣旨記載のとおりの懲戒処分をした。

2  右懲戒処分は違法である。よつてその取消を求めるため本訴に及んだ。

二  被告

1  (請求の原因に対する認否)

1項の事実は認める。2項は争う。

2  (処分理由)

(一) 原告は、昭和四三年三月二八日被告からパート・ギヤランテイ研究員としてアメリカ合衆国オレゴン大学に留学し、同大学のハーバート教授(以下「教授」という。)の研究室において「核酸の構造と機能に関する研究」に従事する目的をもつて同日から一か年同国に出張を命ぜられそのころ渡航したのであるが、その出張期間満了の前後にわたり上司から再三帰国の指示を受けたのに正当の理由なくして帰国せず、かつ、上司の承認なくして一三七日間にわたつて欠勤し、その職務を怠つたもので、原告の右の所為は国家公務員法九六条一項、九八条一項及び一〇一条一項の各規定に違反し、同法八二条一号及び二号の各規定に該当する非違行為である。

即ち、

(二) 原告は、右出張期間満了前の昭和四四年一月二九日付同年二月一〇日到達の書面をもつて試験場当局に対し留学期間をさらに九か月延長されたい旨の出張期間延長を求める申出をした。被告としては海外出張命令の内容はやむを得ない理由がある場合のほかは変更しないことにしているのであるが、試験場当局は農林省においてパート・ギヤランテイ研究員制度の運用の衝に当る農林水産技術会議(以下「技会」という。)事務局とも協議のうえ、原告について留学のための出張期間延長の可否を判断するうえにおいて必要な資料が整えば右原告の申出を検討することとして、右資料とするため、同月二三日原告に対し、(イ)留学期間の延長を必要とする理由書、(ロ)留学先における原告の指導教官から試験場長にあてた留学期間の延長を必要とする事情に関する書簡、(ハ)留学期間が延長された場合その期間における原告の滞在費等に関する保証状、(ニ)留学期間が延長された場合原告がその期間休職を命ぜられることを承諾する旨の休職承諾書、以上四通の書類を送付するよう指示したところ、原告は同年三月一七日試験場到達の郵便をもつて右四通の書類を送付した。

(三) 試験場当局において右書類の内容について検討したところ、原告はすでにそれまでの研究によつて一応の研究成果を得ていること及び本件出張に当り原告に与えられた研究テーマはその性質上探究し尽せないほど膨大なものであるうえに元来パートギヤランテイ研究員制度は研究員が外国の試験研究機関等においてその職務に従事することによつて研究者としての資質の向上を図ることを目的とし、所定の研究を達成することは必ずしも期待されていないことなどから見て原告の留学期間を延長すべき理由は乏しく、また、原告が試験場において担当していた桑葉並びに蚕体の核酸に関する研究をそれ以上停止しておくことは試験場全体としての行政目的に照らして好ましくないと判断し、さらに技会事務局とも協議した結果、同事務局も原告の留学期間を延長しなければならない理由があるとはいえないし、原告の当初の帰国予定である同年三月二七日までの一〇日間で原告の出張期間延長につき被告の決裁を得ることはその手続の複雑さから望めない旨の判断を示したので、試験場当局はこの技会事務局の意見をも参酌し同月一八日原告の前記出張期間は延長しないこととし、同日夕刻試験場長名をもつて原告に対し出張期間の延長は認められないので当初の帰国予定日である同年三月二七日に帰国されたい旨の電報を発信し、さらに同月二七日にも直ちに帰国するよう重ねて指示した。

(四) ところが原告は右三月二七日をすぎても帰国しなかつたので、試験場当局は被告に対して原告の留学先における残務整理と帰国準備にあてる日数を考慮して原告の出張期間を延長されたい旨申請し、被告がこの申請に基づき原告の出張期間を同年三月二八日から同年四月二〇日まで延長したので、試験場当局は原告に対しその旨を通知すると同時に同日までに帰国するよう促したが原告は同日をすぎても帰国しなかつた。

(五) そこで試験場当局は同年四月二一日原告に対し至急帰国するよう電報で指示し、さらに同年五月三一日原告に対し重ねて帰国を指示すると同時に原告の身分上の不利益をも考慮して原告から申出があれば同年五月二七日までは年次有給休暇の扱いをする用意がある旨連絡し、これに基づく原告の申出によつて同年四月二一日から右五月二七日までの年次有給休暇を承認した。試験場当局はその後も同年七月七日原告に対し早急な帰国を指示したが原告からは何の応答もなく、同年一一月八日にはじめて帰国するにいたつたものであつて、結局原告は右年次有給休暇満了日の翌日である同年五月二八日から右一一月八日までの一三七日間をその上司の承認なくして欠勤したものである。

(六) 以上のとおりであつて、原告の右(一)の非違行為を理由としてした本件戒告処分には何ら違法の廉はない。

三  原告

1  (処分理由に対する認否)

(一)については、原告が昭和四三年三月二八日被告から被告主張のとおりの内容の出張命令を受けたこと及び出張期間満了の前後にわたり上司から再三帰国の指示を受けたが帰国しなかつたこと、以上の事実は認めるがその余の事実は争う。(二)については、原告が昭和四四年一月二九日付書面をもつて試験場当局に対し被告主張のとおりの出張期間延長の申出をしたこと、試験場当局が原告に対し書面をもつて被告主張にかかる(イ)ないし(ニ)の書類の送付方を指示したこと、原告が被告主張のころ右書類を取りそろえて試験場に送付したこと、以上の事実は認めるがその余の事実は争う。(三)については、試験場長名の当初の帰国予定日である昭和四四年三月二七日に帰国されたい旨の電報が原告に到達(その到達日は、同年三月一九日である。)したことは認めるが、その余の事実は争う。(四)、(五)については、(四)のうち、原告が右三月二七日をすぎても帰国しなかつたこと、原告の出張期間が同年四月二〇日まで延長されたこと及び原告が同日をすぎても帰国しなかつたこと、(五)のうち、原告に対し昭和四四年四月二一日から同年五月二七日まで年次有給休暇の承認が与えられたこと及び原告が同年一一月八日に帰国したこと、以上の事実は認めるがその余の事実は争う。

2  (裁量権の濫用等)

被告が原告の申出にかかる出張期間の延長を認めず原告に帰国を命じた措置は、著しく信義則に違反し、かつ、裁量権の範囲を逸脱するものであり、原告が右の職務命令に従わなかつたこと等を理由としてなされた本件懲戒処分もまた信義則に違反し裁量権の範囲を逸脱したものとして違法たるを免れない。即ち、

(一) 原告は、本件出張命令によつてアメリカ合衆国に渡航した直後から六か月間は英会話の修得と自動車運転免許取得のため研究に専念できず、また昭和四三年一一月はじめから同年一二月末までは教授の入院によつて研究もはかどらなかつたが、教授の退院によつて研究の目安もつき、また当時原告は、(イ)ウイスコンシン大学のミラー教授が一九六六年に成功しに方法によりアセトキシ・アセチルアミノフローレンを合成し、(ロ)コーネル大学のダドツク教授が一九六八年に明らかにした方法に従つて酵母の転移リポ核酸を精製したにすぎず、右は原告の研究テーマである「核酸の構造と機能に関する研究」のための研究材料の合成及び精製であつて、それ自体をもつて一応の研究成果など評価し得るものではないし、また原告は本件出張に先立ち、それまでの試験場における研究成果を「絹糸腺転移RNAの特異性」と題する論文にまとめて提出(昭和四五年一一月発行の蚕糸試験場報告二四巻五号掲載。なお、原告はこの研究により昭和四六年一月一八日東京大学から理学博士の学位を授与された。)しているのであつてその研究には一応の区切りがついており、被告主張のように試験場に戻つて研究を継続しなければならない状態ではなかつたので、自己の研究テーマを達成して帰国するために出張期間の延長の申出をしたのである。試験場当局が原告に対し前記(イ)ないし(ニ)の書類の送付方を指示した書面は昭和四四年二月二八日に原告に到達したのであるが、当時教授は他の大学における講義のため不在であつて、教授の手を煩わせなければならない前記(ロ)、(ハ)の書類を入手することができなかつたので、原告は同年三月二日試験場当局に対し、その旨及び右書類の日本到達は同年三月一五日から同月二〇日になる旨連絡し、また教授も自ら同月二〇日付の試験場あての書面をもつて、原告からの右書類の提出が遅れたのは教授の不在が理由であるから原告の留学のための出張期間の延長を配慮されたい旨要請しているのである。以上のとおりであつて、原告が出張期間の延長を求めたのは、被告によつて与えられた研究テーマを完成したかつたからにほかならないのであり、原告からの出張期間の延長を求める書面が被告主張のとおり試験場に昭和四四年二月一〇日に到達したにしても叙上の経過があり、またその許否を検討するについても充分すぎる時間があつたのであるから、被告の決裁手続を了する時間的余裕がなくなつたことの責を原告に帰することは許されない。

(二) また原告が教授から前記(ハ)の保証状を取得することは、原告が原告の滞在費の支給等について当面の責任を負う教授に対し右保証期間教授のもとで研究活動に従事する債務を負担することを意味し、右保証状の性質上従来試験場当局が在外留学者に対し保証状の送付方を指示するときは、すでにその出張期間延長が内定したときに限られ、現に原告より一年先にアメリカ合衆国ウエスタンリザーブ大学に留学した同僚赤井弘の場合も試験場当局が同人に保証状の送付方を指示したときには、すでに同人の出張期間を六か月延長することが内定していたし、原告の場合も遅くとも試験場当局が前記のように原告に対し保証状の送付方を指示したときには原告の求めた出張期間の延長が内定していたのである。右の内定があつたからこそ原告は教授から前記保証状を取得したのであり、またその結果原告が教授に対し前記債務を負担するにいたつた関係上教授が試験場当局の命令に従つた原告の帰国のために所定の手続をしてくれる保障もなくなり、原告は当初の帰国予定日に帰国することができなかつたのである。仮りに右の内定がなかつたとすれば、試験場当局は、出張期間が延長されるかどうか未定で極めて不安定な立場にある原告に対し前期意味をもつ保証状を取得させ、その結果原告をして保証状取得による教授に対する債務と被告の出張命令に従い帰国予定日に帰国すべき義務との板ばさみにしたのであつて、すでにそれ自体が極めて不当であつたばかりでなく、その取扱いは前記赤井弘の場合に比して不公平であつて著しく正義に反するものである。

(三) 原告は、前記のように昭和四四年三月一九日試験場当局から原告の予期に反した帰国を命ずる電報を受け、それまで健康であつたものがその衝撃によつて不眠症にかかり、またそのころから同年九月ころまでは連日貧血状態がつづき脳貧血に悩まされ、そのため帰国できなかつたのであつて、原告が試験場当局の指示、命令に従つて帰国しなかつたからといつて、それを非難されるべきいわれはない。

四  被告(原告の主張に対する認否)

(一)については、原告が主張する標題の論文がその主張にかかる蚕糸試験場報告に掲載されたこと、原告がその主張の日に東京大学から理学博士の学位を授与されたこと、原告が昭和四四年三月二日に、教授が同月二〇日に、いずれも試験場当局に対し原告主張のとおりの連絡又は要請をしたこと及び前記(イ)ないし(ニ)の各書類が原告から試験場あてに速達便で送付されたこと、以上の事実は認めるがその余の事実は争う。(二)、(三)の事実はすべて争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一  (本件懲戒処分)請求の原因1項の事実は当事者間に争いがない。

二  (処分理由)

1  被告主張の処分理由(一)のうち、原告が昭和四三年三月二八日被告から被告主張のとおりの海外留学のための出張を命ぜられたことは当事者間に争いがなく、原告が右命令に従つてそのころアメリカ合衆国に渡航したことは〈証拠省略〉と弁論の全趣旨を総合すればこれを認めるに充分であり、また原告が右出張期間満了の前後にわたり上司から再三にわたり帰国の指示を受けたのに帰国しなかつたことは当事者間に争いがない。そして〈証拠省略〉と弁論の全趣旨を総合すれば、被告は、原告が右のとおりその上司の帰国指示に従わず、結局原告が帰国するにいたつた昭和四四年一一月八日まで長期間にわたり欠勤したことが国家公務員法の前記規定に違反し、同法八二条一号及び二号の各規定に該当する非違行為として本件戒告処分をしたことが明らかである。そこで、以下その理由の有無について判断する。

2  まず、被告主張の処分理由(二)、(三)について見るに、原告が昭和四四年一月二九日付書面をもつて被告主張のとおり出張期間の延長を求めたこと、試験場当局が原告に対し被告主張にかかる(イ)ないし(二)の書類の送付方の指示し、原告はそのころ右書類を取りそろえ速達便をもつて試験場あてに送付したこと及び原告に対し試験場長名の当初の帰国予定日である昭和四四年三月二七日に帰国されたい旨の電報が発信されたこと(右電報が同月一九日に原告に到達したことは原告の自認するところである。)、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、この事実と〈証拠省略〉と弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。即ち、右のとおり出張期間の延長を求める原告の書面は同年二月一〇日試験場に到達したのであるが、原告は前記渡航以来それまでの間試験場に対し留学先における研究の進捗状況その他について全然連絡したことがなく(もつとも、〈証拠省略〉を総合すれば、原告は昭和四三年一一月ころ試験場の小林勝利農林技官に対し教授の入院を知らせると同時に教授の入院が長期化した場合他の大学その他の研究機関に移ることができるかどうか問い合わせ、同技官から暫時様子を見てはどうかとの返事を得たことが認められるが、〈証拠省略〉を総合すれば、原告と小林技官との間には職務上の関係はなく、右書簡の往復も所詮は個人的な相談の域を出るものではなかつたと認められるのであつて、右の事実があつたからといつて、当時試験場当局が原告の研究の進捗状態を知つていたとすることはできない。)、また右書面に記載されたところは、原告が「不なれのためと昨年末に教授が入院のため、実験が遅れ勝のため九か月の滞米を延期して戴きたい」「現在やつている仕事は、癌やウイルスと関係のある薬剤と核酸のinter-actionの仕事」をしている、「出来る限り研究を一段落させた処で帰国したい」というにすぎず、試験場当局としても右記載内容自体によつては原告の留学先における研究の進捗状態を具体的かつ詳細に知ることができなかつたこと、ところで、被告はその職員の海外出張命令の内容については、やむを得ない理由がある場合のほか変更しないことにしているため、試験場当局は右原告の申出について農林省においてパート・ギヤランテイ研究員制度の運用を所管する技会事務局とも協議した結果、原告の右申出については留学のための出張期間延長の可否を決するに必要な資料が整備された段階であらためて検討することとし、同月二三日原告に対し試験場の伊東正夫化学部長名の書面をもつて前記(イ)ないし(ニ)の書類の送付方を指示する一方、同月二六日同部長名をもつて教授に対し原告の研究の進捗状態を間い合わせる書簡を送付したところ、同年三月一七日原告が送付した右(イ)ないし(ニ)の書類が試験場に到達したこと、そこで試験場当局において右の各書類の内容を検討したところ、教授の書簡(前記の(ロ))によれば、原告は「転移リボ核酸(略称-tRNA)の構造と機能との関係について研究し興味ある結果を得た。現在グアニン残基と附加物を修飾する螢光発がん性化合物を用いて粗製の転移リポ核酸を修飾しようとしている。すでに附加物を形成する化合物(N-acetoxy-2-acetylaminoflourene)の合成に成功している。」旨の記載があり、右記載によれば原告は本件の留学によつて一応の成果を挙げたものと判断され、またパート・ギヤランテイ研究員制度それ自体が研究者としての資質の向上を目的とするものであつて必ずしも特定の研究の達成を目的とするものではなく、他方原告は試験場において昭和四一年五月一日付業務命令をもつて「化学部アイソトープ研究室の桑葉並びに蚕体の核酸に関する研究」を命ぜられ、右研究は原告の本件出張によつて中断されたままになつていることもあり、試験場当局としては以上の理由から原告の出張期間を延長すべき理由は乏しいものと判断したこと、そして右につき翌三月一八日技会事務局とも協議したところ、技会事務局も試験場当局と同意見であつたばかりでなく、原告の出張期間延長に関する決裁についてはすくなくとも二週間を要するところ、原告の当初の帰国予定日までの残された一〇日間では到底右決裁手続を了する見込みがないことを明らかにするにいたつたため、試験場当局は、同日夕刻原告の出張期間の延長は認めないとの結論を出すと同時に試験場長名をもつて原告に対し前記の電報を発信し、さらに同月二七日にも同様試験場長名をもつて原告に対し、出張期間の延長が認められないこと並びに直ちに帰任すべきことを促す電報を発信したこと、以上のとおり認められ、また、同(四)、(五)については、原告が右三月二七日をすぎても帰国しなかつたこと、原告に対して同年四月二〇日まで出張期間の延長が認められたこと及び同年四月二一日から同年五月二七日まで年次有給休暇の承認が与えられたこと並びに原告が同年一一月八日にはじめて帰国したこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、この事実と〈証拠省略〉を総合すれば、右(四)、(五)の事実のうち、試験場当局が原告に対し同年四月二一日から同年五月二七日まで年次有給休暇扱いをする用意がある旨の連絡文書を発した日が同年五月一五日であり、また原告の同年五月二八日から同年一一月八日までの欠勤日数の合計は一二六日であると認められるほか、その余の事実はすべて被告主張のとおりであると認められる。そして、〈証拠省略〉を総合すれば、試験場当局は、その間同年四月一五日から同月二一日にかけ四回にわたり原告に対し指示どおり帰国すべき旨の電報を発し、ことに四月一九日の電報においては同月二〇日までに帰国しなければ命令違反として処分されることがある旨をも通告し、さらに同月二一日及び同年六月二七日付の伊東化学部長名の書面をもつて原告に対し同様に帰国を促したことが認められる。〈証拠省略〉によれば、原告はその間昭和四四年八月ころでされば一か月くらいのうちに帰国したい旨、また同年一〇月三一日付をもつて一、二週間以内に一応帰国したい旨の、いずれも試験場あての手紙を書いたことが認められるが、〈証拠省略〉によれば、最初の手紙が試験場に到達したのは同年一一月一九日ころ、右一〇月三一日付の手紙が試験場に到達したのは同年一一月一一日ころであつて、いずれもその到達は前記のとおり原告が帰国した後であつたと認められるのであつて、以上の認定の妨げとはならないし、他に以上の認定を妨げる証拠はない。

右の認定事実によれば、原告は、本件外国留学出張先において、(イ) 昭和四四年三月一九日から同年七月七日頃までの間一二回にわたつて、当初は同年三月二七日までに帰国すべき旨、ついで同年四月二〇日までに帰国すべき旨の上司の職務上の命令指示を受けたが、いずれもこれに従わなかつたこと、及び、(ロ) 右の期限を六か月以上経過して同年一一月八日に帰国したが、同年五月二八日から右帰国日までの間上司の承認を受けることなくして一二六日欠勤したことが明らかであるところ、右(イ)の所為は国家公務員法九八条一項に違反し、右同の所為は同法九六条一項に違反し、それぞれ同法八二条一号及び二号に該当する非違行為であるといわなければならない。

三  (裁量権の濫用等の主張に対する判断)

1  原告主張の(一)の事実中、原告が執筆した「絹糸腺転移RNAの特異性」と題する論文が昭和四五年一一月発行の蚕糸試験場報告二四巻五号に掲載されたこと及び原告が昭和四六年一月一八日東京大学から理学博士の学位を授与されたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠省略〉と弁論の全趣旨を総合すれば、原告は本件出張命令に従つて渡航する以前に、すでに前記の論文を完成させ、これを学位論文として東京大学に提出し、この研究によつて前記のとおり理学博士の学位を授与されたこと、原告は右渡航以来当初の約六か月は週三回、一回約二時間の割合で英会話の修得につとめ、さらに自動車運転免許を取得するのに同年一一月までかかつたこと、同年一一月から同年一二月末まで教授が入院し、翌昭和四四年一月一五日ころまで教授と会うことができなかつたこと、以上のような経過から原告の研究は必ずしも思うように進捗せず、その間前記認定のように小林勝利技官に身の振り方について相談したりしたが、前記のように同年一月二九日付書面をもつて試験場当局に対し出張期間の延長を求める申出をした当時においては、すでに公表された方法に準拠して、その研究材料であるアセトキシ・アセチルアミノフローレンを合成し、酵母の転移リポ核酸を精製したにすぎなかつたこと及び当時滞米中の東京大学の教師から学位論文を完成させたからにはさらに大きな仕事をするように激励され、まだ教授のすすめもあつたため当初の研究の達成を決意し右の出張期間の延長を求める申出をするにいたつたことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかしながら、パート・ギヤランテイ研究員制度は前記認定のとおり研究者としての資質の向上を目的とし、必ずしも所与の研究の達成を目的とするものではないのであるから、原告が出張期間の延長を求めた理由が右のように専ら研究の達成にあり他意がなかつたとしても、試験場当局が右制度の目的並びに他の行政目的を勘案して出張期間を延長しないとすることは、その職務上当然になしうるところであつて、原告の意図ないしは希望に副つてやらなかつたからといつて、それが直ちに信義則違反となり裁量権の濫用となるものではない。また、同(一)の事実中、原告が昭和四四年三月二日に試験場当局に対しその作成につき教授を煩わせなければならない前記(ロ)、(ハ)の書類については教授不在のため入手できなかつたので同年三月一五日から同月二〇日の間に日本に到達する旨連絡し、教授も同年三月二〇日付書面をもつて試験場あてに原告からの右書類の提出が遅れたのは教授の不在が理由であることを知らせ、原告の留学のための出張期間の延長を配慮されたい旨要請したこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠省略〉と弁論の全趣旨を総合すれば、教授は、昭和四四年四月二四日付の試験場あての書面をもつて、教授が同年二月二七日から同年三月一三日まで不在であつたこと、前記のとおり伊東化学部長から原告に対し前記(イ)ないし(ニ)の書類の送付方を指示した書面が右二月二七日より前に原告に到達していたとすれば、原告から試験場に対する右書類の送付は前記のように遅れなかつた旨を述べ、重ねて原告の出張期間の延長方を要請した事実が認められるが、〈証拠省略〉を総合すれば、原告は、本件出張命令に従い出発するに先立ち、当時の試験場の化学部長であり直属の上司であつた福田紀文から、出張期間の延長を求める場合には遅くともその三か月前までに、その時点までの研究状況及び延長期間中の研究計画についての報告書、その期間の受入れ側の保証書(前記の(イ)及び(ハ)の書類に相当)を必ず添付して許可を求めること、その他海外出張中の注意事項等を印刷した技会事務局連絡調整課発行の「海外留学関係のしおり」と題する冊子の交付を受け、それを読むことを指示されると同時に、出張中における勤務を厳正にするよう特に注意を受けたことが認められ、それにもかかわらず、原告がその出張期間の延長を求めるに当り、右「海外留学関係のしおり」に定められた時期に定められた方法に従つた手続を履践しなかつたこと及びそれが本件出張期間延長についての被告の決裁を得るには時間的に逼迫していたひとつの原因となつていることは上来縷述したところによつて明らかであり、右決裁に時間的余裕がなくなつたことを試験場側の責任として攻撃する原告の主張は、結局は顧みて他をいう類であつて到底そのまま採用し得るものではない。

2  原告は、試験場当局が原告に対し前記(イ)ないし(ニ)の書類の送付方を指示したときには、原告の申出にかかる出張期間の延長が内定していたと主張するのであるが、〈証拠省略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、試験場生理部勤務の農林技官赤井弘は昭和四一年八月二八日から昭和四二年八月二七日までの一か年の予定をもつてアメリカ合衆国ウエスタンリザーブ大学に留学のため出張を命ぜられ、その出張期間は昭和四二年八月七日付をもつて同年八月二八日から一六八日間延長されたが、右赤井弘の場合はもちろん原告の場合においても、試験場当局が保証状の送付方を指示した段階において出張期間の延長が内定していた事実はなく、ただ原告において右のように保証状の送付方を指示された際そのように思い込んだにすぎなかつたことが認められる。また原告は保証状の法律的性質を云々し、その送付方を指示した試験場当局の措置を非難するけれども、前記1において認定したとおり保証状は出張期間の延長を求める場合の必須の添付書類であり、しかも出張期間を延長するかどうかは本来被告の自由裁量に属するところであつて、保証状の提出にかかわらず出張期間が延長されないことは当然あり得るのであるから、むしろ原告においてそのような事態に立ちいたることのあることをも想定し、保証状の取得に当つては教授にもその事情を明らかにして不測の事態の予防を配慮すべき筋合であつて、保証状の送付方を指示した試験場当局の措置を非難する原告の主張は採用の限りではない。

3  そこで、原告主張の(三)について見るに、〈証拠省略〉を総合すれば、原告は、前記のとおり昭和四四年三月一九日に試験場当局からの当初の帰国予定日に帰国すべき旨を指示した電報を受領したが、そのころから不眠症になり、また脳貧血に悩まされたこと、そして試験場当局に対し前記のように延長された出張期間が満了した後の昭和四四年四月二一日以降の病気休暇を願出で、さらに前記年次有給休暇が満了した後の昭和四四年五月二八日以降六か月間の病気休暇を願出で、同年四月八日付の医師の「ヘマトクリツト三二で、精密検査の必要がある」旨の証明書及び同月二九日付医師の「本態性高血圧初期の疑い」がある旨の所見の記載がある証明書を送付したこと、そこで試験場当局は、右証明書二通の記載内容について河北病院の医師の意見を求めたところ、右の症状は原告が帰国のための旅行に堪えられない程度のものではない旨判定されたので、同年七月七日付原告あての書面をもつて、真に帰国旅行に堪えられないならばそれを証明するに足る診断書を送付するように指示したが、前記のとおり原告からは以後何の連絡もなされなかつたこと、以上のように認められ、他に原告が主張するようにその症状が真に帰国に堪えられない程度のものであつたことを認めるに足る証拠はない。のみならず、〈証拠省略〉と弁論の全趣旨を総合すれば、原告は前記昭和四四年五月二八日以降においても、それが充分であつたとはいえないにしろ教授の研究室において研究活動に従事し、その成果を論文にまとめたうえ帰国しているのであるが、その間原告の出張期間延長の申出を容れなかつた試験場当局の措置を非難するばかりで、自ら進んで職務命令に従つて帰国すべく努力したこともなく、病気を云々しながらも、前記のとおり帰国した後においては感冒を理由に六日余を休んだほか正常に勤務した事実が認められるのであつて、病気を理由とする原告の主張もまた採用の限りではない。

4  したがつて、試験場当局が叙上のとおり原告に帰国を指示したことが信義則に違反し裁量権の濫用であるとする原告の主張はすべて理由がないし、またこれを前提とする本件懲戒処分の信義則違反並びに裁量権濫用の主張も理由がなく失当たるを免れない。

四  (むすび)以上の理由によれば、原告の本件非違行為が被告主張の国家公務員法の各規定に違反するとしてなされた本件戒告処分には何ら違法の廉はなく、その取消を求める原告の本訴請求はその理由がないことに帰するから、失当としてこれを棄却、行訴法七条、民訴法八九条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中川幹郎 原島克己 大喜多啓光)

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